北烏山編集室
 
2023/10/22

ナターシャ・ヴォーディン『彼女はマリウポリからやってきた』読書メモ

 

 読了。ナターシャ・ヴォーディン、川東正樹訳『彼女はマリウポリからやってきた』(白水社)。

 

 マリウポリとはアゾフ海に面したウクライナの町。ロシアのウクライナ侵攻で壊滅的な被害を受けた町として、ここ1年で日本人にとっても少しはなじみのある名前になったが、つい最近までこの町は私にとってそうであるように多くの日本人にとっても未知の町だったはずだ。『彼女はマリウポリからやってきた』という書名は、ドイツ語の原著の題名を直訳したものだが、この訳書がもうちょっと前に刊行されていたら、「マウリポリ」という固有名詞は使われなかったろう。

 

 訳書題名にある「彼女」とは、1920年にマリウポリに生まれ、1956年にドイツで自殺することになる著者ナターシャ・ヴオーディンさんの母親のこと。著者は、「ふとした思いつきから、インターネットのロシア語の検索エンジンに試しに母の名前を打ち込んでみた」。そこから明らかになった母親や一族の悲劇的な歴史を語ったのが本書である。母の痕跡を探し求めるにあたっての手がかりは、母親の名前や残された数枚の写真と数少ない書類。そして著者自身のおぼろげな記憶のみである。前半では、それこそNHKの「ファミリー・ヒストリー」を見ているような、イタリア、ドイツからロシア、ウクライナにまで展開する探索の物語が語られるが、やがて、革命や戦争に翻弄され、貧困と差別のうちに生きた女性たちの人生が語られるに及んで、息を詰めるような思いで文章を追っていくことになる。

 

 私がこの本を読み始めたときにまず思ったのは、マリウポリに生まれた著者の母親がなぜドイツで自殺することになったのか不思議だ、というものであった。ソ連がレニングラードの包囲戦で、900日近くの苦闘のすえナチス・ドイツに勝利したことはよく知られている。プーチンがウクライナ侵攻のあと国民に受けて戦意高揚のための演説をするのはその戦勝記念日である。だから、ソ連の一部であるウクライナも戦時中ナチスからの攻撃を持ちこたえたに違いないと私はなんとなく思っていた。

 

 しかし、事実はそうではない。マリウポリはまずロシア革命後に赤軍に占領され、この著者の祖父母たちの住む裕福な家はほぼすべてが没落する。そして、スターリン体制の時代がやってくる。多くの人たちが逮捕され粛清される時代だ。そのあとには今度は第二次大戦が勃発、今度はナチス・ドイツが攻めてきて、マリウポリは陥落するのである。マリウポリに住む人たちは、ドイツになかば強制的に連行され、労働収容所で絶望的な労働を課されることになる。スラヴ出身の労働者は「東部労働者」と名づけられ、(ガス室こそなかったものの)差別と死の恐怖の日々を過ごすことになったのである。

 

 ドイツで強制労働に従事したウクライナ人は戦後どうなったか。私は、故国へ戻ったのだろう、と想像していたが、そうではなかった。彼らの多くがソ連へ戻るのを怖れた。強制的であろうともナチス・ドイツのために労働した彼らは、スターリン体制のなかにあっては、祖国への裏切り者と見なされたからである。ちょうどそれは、シベリアに抑留された日本人がなんとか生き延びて日本に帰ってきたと思ったら「アカ」であるとしてなかなか就職できなかったような事情と似ていなくもない。ドイツでの強制労働の末に、今度は祖国から見限られ差別されることになったのだ。

 

 ロシア革命が1917年、スターリンが亡くなるのが1953年で、その間に大戦がある。こうして見ると、著者の母親が生きた時代とは悲劇が集中的に演じられた時代だったのである。

 この本はこのような歴史を背景にしつつも、36歳で自殺することになった母親の人生を、様々な手がかりをもとに再構築していく。著者が目指していたのは、自らが10歳のときに理由も告げずに川で入水自殺してしまった母親を理解することであった。母親は亡くなる前に精神的に相当病んだ状態にあったが、そのとき、著者は子供心に、「母の見たものをわたしも一度でいいから見てみたい。その苦痛がいかに恐ろしいものであれ、一度でいいから経験してみたい」と心で思う。この本はだから、子供時代に抱いたその切なる願いを、60年近くも経ってから、インターネットという文明の利器を借りて実現しようとしたものだとも言える。

 

 この探索によって著者は確かに母親が見たものを、また母親の生きた時代を、頭のなかで再体験したはずだが、その体験は相当な苦痛を著者にもたらしたのではないか。

 

 本の末尾近く、貧困と差別と神経のすり減るような毎日を送るなかで母親が精神に異常を来していくシーンがある。精神を病んでいった母親は次第に自分の娘(=著者)を「悪魔の子」とまで呼ぶようになり、気を失うぐらいに母親から体を揺さぶられる。身を振りほどいて寝室に飛び込み、はさみでもって母親の服をすべて切り刻む。

 

 衣服が床に散乱しているのを見て、一瞬立ちすくむが、その後すぐに夢でも見ているような微笑みが母の顔をかすめる。「よくやったこと、さすがだわ」と言うと、やさしくわたしの頭をなでる。

 

 このような凄惨な記憶を本のなかに書き込んでいる著者はおそらく母親の自殺の一部には自分という存在があったことを意識しているはずだ。母の人生の再構築は過去の自分を苛むことにもつながっていく。

 

 痛ましいと思うのは、著者は母親と一緒に死ぬことができれば自分は救われるとも思っていたことである。あるときに、母親から心中をほのめかされた著者は「母がわたしを連れていきたがっていることは、わたしにはほとんど勲章のように思える」と書いているからだ。しかし、結局、母親は一人で入水してしまう。遺体安置所で著者は亡くなった母と対面する。

 

 わたしはガラスの向こうの母を長いあいだ見つめる。やがて暗くなり、墓地の門が閉じられるので、行かなければならない。母の顔は近づきがたく、だれも寄せつけない。自分の死をめぐる事の次第について何も明かさず、なぜわたしたちを、妹とわたしを一緒に連れていけなかったのか、なぜ最後にひとりで行ってしまったのか、何も語らない。

 

物語を語ることによって生まれたかもしれないカタルシスは著者にはもたらされない。予定調和的な物語に回収されることのないまま、本書は終わる。ここまで読んできて、思わず、ふーっ、と大きなため息をついた。

 

 私がこの本を手にとったのは早くして亡くなった米原万里さんの本をかつて読んだことがきっかけになっていると思う。無類の読書家だった米原さんはその本のなかで、エウゲーニヤ・ギンズブルグ(作家アクショーノフのお母さんだ)の『明るい夜暗い昼』や、マルガレーテ・ブーバー=ノイマンの『スターリンとヒットラーの軛のもとで』といった本を紹介していた。強制収容所からの「男性の」サバイバーたちの本はたくさん書かれているが、女性の体験者の本はあまりないといって、この2冊を紹介していたと記憶している。今回の本は、女性の体験を扱っている点、それから、「東部労働者」と命名され、収容所のなかで差別され続けたスラヴ系の人たちのディアスポラの体験を描いている点で貴重なものだ。米原さんが生きていたら、きっとこの本を書評で取り上げていたのではないか。

 

 ガザとイスラエルの紛争で、この数週間で、ロシアのウクライナ侵攻のニュースは急激に後景に引っ込んでしまったようにも見える。マリウポリについてはいまだに「ロシアの侵攻によって破壊された町」という以上の知識は蓄積されていない。Wikipediaの日本版でマリウポリを調べてみても、ロシアによる侵攻以前についての記述はほぼ空白である。もっと読まれていい本だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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